蓮如(れんにょ ※)は、「仏法(ぶっぽう)には、明日と申す事、あるまじく候(そうろ)う。仏法の事は、いそげいそげ」と、折にふれて述べたと伝えられています。世間的な豊かさや、幸せというものを求めるのではなく、人間の根源的な課題を解く仏教の教えによく聞け。それには一刻の猶予もならないと、蓮如は教えているのです。この言葉には、釈尊(しゃくそん/お釈迦さま)の出家と共通する気持ちが込められています。まず何をおいても仏法を聞くようにという勧(すす)めから、私たちは日頃の忙しさに紛れて忘れてしまっている大切な出発点を教えられます。たとえ、どれほど豊かで華やかな生活が実現したとしても、それだけでは満足できないものを人間は持っているからです。
その意味でいえば不安や空しさを感じるということは、とても大切なことなのです。不安や空しさは、私が事実を事実として受け止めていない、私の生活の基本のところに嘘があることを教えてくれているからです。足下の事実を忘れて見果てぬ夢を貪(むさぼ)っていきたいのが、人間の偽らざる心情でしょう。しかし、私たちが生きている現実は、そのような私の思いにはかかわりなく進んでゆきます。
どのような生き方をするか、自分の生活をどのように豊かにするかということが、私たちの日常の問題ではありますが、それ以前に、老・病・死の身として生まれてきたという私自身の事実があります。釈尊の教えは、徹底的に事実を事実として見つめることによって、人間を不安と恐れから解放する教えです。それは、「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う」と言われるように、これからのこと、年老いてからのこと、明日のことではなくて、私たちが今ただちに目覚めるべきことなのです。
- 蓮如(1415~1499)
- 室町時代の浄土真宗の僧侶
『蓮如上人御一代記聞書』(蓮如)
大谷大学HP「きょうのことば」1997年1月より
教え 2020 01