この言葉は、藤原正遠(ふじはらしょうおん ※)先生の言葉です。今の時代、私どもの社会は行き詰まらないようにすることが無言の圧力になっているように思います。快適で、効率よく、迅速に、ものごとを処理していくことが暗黙の生活信条になっているから、時間がかかり、回り道が多く、苦労のたえないことは、無駄なこととして切り捨てられる。
まして、どうすればいいかわからず、立ちすくんでしまうことは失敗であり、行き詰まった者は人生の落伍者だと烙印を押される。行き詰まることが人生の破綻であるかのような風潮の中で、「勝ち組」、「生き残り」といった言葉が大手を振ってまかり通っている社会は病んでいる。
何が行き詰まっているのか。思いが行き詰まっているのです。自分の都合のいいように、自分の思い通りにしたいという思いが現実に直面して、「こんなはずではなかった」、「どうにもならない、もう駄目だ」と行き詰まっているのでしょう。
私どもを生かしているいのちは、思いはどうであろうとも、単純に現実、事実の身をそのままに生きている。行き詰まることは、たしかに困ったことだし、できることなら避けて通りたいことですが、行き詰まった時がチャンスだと言えます。自分勝手な思いが破れて、本当の自分に立ちかえる、人生の一番尊い時の訪れでもあるのです。
- 藤原正遠(1905~1997)
- 石川県、真宗大谷派僧侶。
狐野 秀存氏
大谷専修学院長
「サンガ」№136より
法話 2019 01