ある日、私の友達のおじいさんが亡くなりました。お散歩をしに出かけて倒れ、突然に亡くなってしまったのです。枕経のおつとめ(臨終のおつとめ)に伺うと、静かなお部屋に、友達とそのご家族がいて、亡くなられたおじいさんは真っ白なお布団をかけられて横になっていました。緊張しながらお経を読み始めると、家族みんなの小さな泣き声が部屋中に広がりました。
おつとめが終わってからのことです。友達と一緒に、おじいさんの枕元へ行き、亡くなられた姿にお会いしました。眠っているような優しいお顔。私は頭にそっと触れて「お疲れ様でした。有難うございました」と語りかけました。するとそれまで後ろで座っていた友達は、目にたくさんの涙を浮かべて、恐る恐るおじいさんのほっぺたに触れました。そしてゆっくり頭をなで、こらえていた涙を流して大声で泣きながら、おじいさんのほっぺたを包み込むように何度も何度も触れたのです。
亡くなられたおじいさんの、ひんやりして、柔らかくないほっぺた。さすっても起きてくれないし、返事もしてくれない。それでも、残された大切な家族の悲しみを、静かに、全部まるごと受け止めてくれているように感じました。
どれくらい時間が過ぎたでしょうか。だいぶゆっくり呼吸が整ってきた友達は「おじいちゃんの頭なでたの初めてだった」と、ちょっとだけ笑顔を浮かべて話してくれました。
私たちに命がけで「死」を教えてくれたおじいさん。私にもみんなにも「死」は必ずくる。それは今日か明日かはわからない。だからこそ、「今を大切に精一杯、精一杯生きようね」。そんな声なきメッセージを、おじいさんからいただいたような気がします。
白木澤 琴氏
真宗大谷派 玉蓮寺(宮城県)
真宗大谷派青少幼年センター
子ども会情報紙『ひとりから』第11号より
法話 2019 08