著名人の言葉

言の葉カード

 歴史をさかのぼって見てみると、人間が社会をつくっていく上で、他人の助けを借りないと生き延びることができないような人を、仲間として受け入れてきた歴史もあるのです。昔の遺跡を見ても、生まれつきの障害があった人が、長く生きていることがわかります。
 おそらく、自分で狩りに行ったりとか、食べ物を採りに行ったりする、いわゆる労働的なことができなかった人を仲間が支えていたのです。
 おそらく、その子の存在を受けとめる時に、頭で考えてもわからないような大事なものを抱えて生まれてきたのだろうと、かえって貴重な存在として見ていたのだと思います。
 そういうまなざしは今でも消えているわけではないものの、社会が発展し、特に近代になって生産性や効率性が重視されるようになってくると、障害者を社会から排除するような考え方が強くなっていきました。

 現代においては特に、日本人には自分を支えてくれる絶対神的なものがありませんから、他人や社会との関係の中で、自分の存在する意味を構築していると言えます。例えば、肩書きや自分の仕事、家族の中での立場などです。すると、それを失って自分が支える側から支えられる側になるのは耐えられないと感じるようになるのです。
 しかし、人間はみんな一人では何もできない状態で生まれてきます。そして、やがてはだんだん体力が弱ってくる。その時に家族、あるいは、医療や福祉のスタッフでもいいのですが、私は人の世話になれるのであれば、世話になっていいではないかと思うのです。
 ある種の美学もあってか、のたうち回っている姿や、惨めな姿を見せるのも迷惑をかけるのも嫌だという感覚が、支えられることを拒否していくのです。それは必然的に、支えられなければ生きられない存在を否定していくことにもつながります。

安藤 泰至氏
鳥取大学医学部准教授

「同朋新聞」2019年1月号(東本願寺出版)より
著名人 2021 12